
こんばんわ。管理人の来栖あさひです。
今回の記事は『西尾維新原作による小説のコミカライズ版「少女不十分」を読んだ感想と考察』となっています。
作品の概要やあらすじもあわせてご紹介していきますので、見ていきましょう。
コミカライズ版「少女不十分」とは?
「少女不十分」は西尾維新による小説です。コミカライズ版でははっとりみつるの作画によって、週刊ヤングマガジンで2015年53号から2016年39号まで連載されました。
キャッチコピーは
「西尾維新、原点回帰にして新境地の最新作。」
「この本を書くのに10年かかった。」
二十歳の大学生である「僕」と、あるきっかけで出会った「少女」の交流を書いた物語。物語は三十路になった「僕」の一人称で語られる。
引用元:https://ja.m.wikipedia.org/wiki/少女不十分
あらすじ
当時二十歳の大学生であった「僕」は、目の前で起きた交通事故をきっかけに「少女=U・U」と出会う。
当時小学四年生の「U・U」は一緒に下校していた同級生を交通事故で亡くし、その現場でおこなった自身の奇妙な行動を目撃した「僕」を後日、カッターナイフで脅して拉致監禁する。
それから警察が来るまでの数日間、「U・U」の家の物置での監禁生活で、二人は共同生活を送るのだが…。
人間の心理とリアリティある描写にどこか切なさを感じさせる作品。
感想と考察
ここからは感想と考察ということで、私が「少女不十分」のコミカライズ版を読んで感じたことなんかを書いていきます。
この作品を通して感じたこと=感想
まずひとつに、子ども(=U・U)の世界観における親という存在の絶対感が凄いというところ。
虐待があったかどうかということも当然ながら、与えられた「ルール帳」を忠実に守らなくてはいけないという子どもなりの葛藤や苦しみが「僕」の解釈を通じて伝わってきます。
一般に子どもは奔放で顧みないものだというのが私見ですが、本作を読み終えて「U・U」の歪な規律正しさの意味がよくわかりました。
また、後日談というか、十年後二人が再会するくだりがあるのですが、すっかり常識人になったと思える二人にほっこりさせてもらいました。
「僕」の魅力
この作品において、実際のところは本気になって逃げ出せば物語にならなかったところを物語にしてみせた、というところにもポイントがあるかと思います。
「僕」は自分が普通の人間(多数になじむことのできる人間)でないことを自覚しており、その点で「U・U」に対してもシンパシーを覚えていきます。
「僕」の対応は、知りたいという欲求も然ることながら、何だかんだで「U・U」を心配し、憐れみ、尽くしたと思えるものでした。
「僕」の魅力は自身の無力を知りながら、結果として「U・U」を見捨てることなく、最後まで寄り添ったという点にあるのではないかと思います。
「U・U」の魅力
当然のことながら、「U・U」が「僕」に出会わなければこの物語は始まりませんでした。
それを見つけ出し、小学四年生らしい稚拙な方法で拉致監禁を試みる狂気。しかし、後にこれは「ルール帳」に縛られての行動であったことがわかります。
本当なら自分が飢えている状況の中で、「僕」に唯一の食料源を差し出すことも、挨拶に対する異常な執着も、同級生が交通事故に遭ったときにゲームをセーブしてから駆け寄ったことも、全てルールを遵守したに過ぎません。
モンスターなのか頭のおかしい少女なのか、はたまた普通の小学四年生なのか…「U・U」のミステリアスな雰囲気は魅力であると言えるでしょう。
考察
コミカライズ版「少女不十分」を読んでの考察になります。
「僕」と「U・U」の関係性
二人の関係性は加害者と被害者? 当初はそうであったかもしれませんが、次第に「僕」が「U・U」の人間性を理解していく過程において、それは単なるきっかけに過ぎないという着地点に至ります。
物語終盤において、「僕」が「U・U」から被害を被ったと悲観するシーンはほぼないと言えることからも、それはほぼ間違いないでしょう。
互いにこの監禁生活を通じて、信頼関係のようなものが構築されていった、いわば親友のような何かであると言えそうな関係性が築けていったのではないかと、そう推察したいですね。
ルール帳について
実際、家庭によって子どもをしつける際のルールは存在していることが多いであろうと思います。
しかし、この作品における「ルール帳」は(特に両親の死後取り残されてしまったシチュエーションの中においては)作中でも登場するように「不自由帳」でしかないと言えます。
優先順位も然ることながら、きっちりしたもの風でありつつ意外と抜け落ちている。それに内心では混乱しながらも、従順に守ってきたということです。
「U・U」という少女の特殊性を形作った要因としては十分過ぎるインパクトでした。
後日談(事件から十年後)での再会にて
事件から十年後、「僕」は小説家になっていました。新担当として顔を合わせた「夕暮誘」が「U・U」の十年後であることは言わずもがな。
散々「僕」が心配していたちゃんと…ではなくとも生きていてくれたことが確認できたわけですね。
「夕暮誘」に「U・U」当時のような不自由感が見られず、生き生きとしていることこそが、あの監禁生活で「僕」が読み聞かせた物語の意味であったのだと思える完結でした。
おわりに
最後までご覧いただきありがとうございました。
「少女不十分」はコミカライズ版で知ったのですが、小説版があったことは最近知りました(汗)
誰しもある程度は本音を隠して生きていると思うだけに、隠しているものの重み=知られることの致命度であったとも思える作品でした。
「僕」と「U・U(夕暮誘)」の未来が幸せなものであってほしいと願っています。
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